【Q】
手術部位感染症(surgical site infection:SSI)は,心臓手術後の重篤な合併症です。この発生を低減するため様々な予防策がとられていますが,近年ではハイリスク患者の心臓手術も増加しており,各施設でさらなる工夫を凝らしているのではないかと推察します。スタンダードな感染対策から,ガイドラインを超えた独自のSSI対策の実際について,関西医科大学・湊 直樹先生のご教示をお願いします。
【質問者】
徳永千穂:筑波大学医学医療系心臓血管外科講師
【A】
心臓血管外科手術は,部位的,臓器的に細菌汚染の可能性の低い手術と言えますが,一度SSIを起こすと,縦隔炎,膿胸から,人工血管,人工弁,フェルトなどの人工物への感染波及をきたし,開創洗浄,再手術など,患者さんへの多大なる侵襲を余儀なくされ,さらには医療費増大,周囲患者への感染波及(院内感染)など,数多くの弊害を引き起こします。その定義,分類,対策については,ガイドライン〔日本手術医学会「手術医療の実践ガイドライン」(2013年)〕などをご参照下さい。可能な限り一般的な感染予防策(文献1)を遵守することが重要ですが,各施設でさらに独自の予防策を講じているものと思われます。
当科で特に重視しているのが禁煙の徹底です。整形外科の人工関節置換術後の創部感染率は,喫煙群は禁煙群の6倍多く,4週間の禁煙で感染頻度は2%に低下したという報告(文献2)もありますし,喀痰喀出困難からの肺炎予防にも重要です。また,不安定狭心症例を除き,安定した定期手術の患者さんには,手術当日の朝にシャワー浴をして頂きます。これにより皮膚,頭髪などの粉塵,落屑,細菌を極力減らすことを期待しています。
一方,清潔度の高い手術室といえども,手術中の空中細菌は多く,その最大の供給源は,露出した医療従事者の皮膚の細菌であるとも言われます(文献3,4)。したがって,術前の手洗い,アルコール擦り込みだけでは不十分と考えています。
我々医療従事者は,昨今の花粉,黄砂,大気汚染物質,時期によってはウイルスなどが散乱する大気中を歩いて,あるいは閉鎖空間(電車,バスなど)を利用して出勤するわけですが,それら浮遊物に付着する細菌も多いはずです。また,フケは頭だけでなく,もみあげ,まゆ毛,顔にも発生します。病棟やICUで感染部の処置を行った後などは,汚染を受けている可能性が最も高いと思われます。したがって,手術中に露出する部分,すなわち,眼周囲顔面,まつ毛,耳,頸部,頭髪,もみあげなどには上記物質+細菌が付着しており,これらが術野に落下する可能性は高いと考えるべきでしょう。
対策として,当科では,医療従事者側要因としての術者の清潔度を重視し,執刀医のみならず助手の全員に,手術に入る直前のシャワー浴を義務づけています。頭髪,顔,耳介,鼻の中などを十分に洗い流すようにし,我々術者からの細菌伝播の危険性を可能な限り減ずるよう心がけています。超緊急に開胸,開腹を余儀なくされる場合はシャワーどころではありませんが,緊急手術においても可能な限り直前シャワー浴を行います。看護師や麻酔医にもお願いしたいところですが,そこまで強制することは無理でしょう。
これらの対策で完璧にSSIを予防できるとは思いませんし,予防策としてのエビデンスを確認してはいませんが,正しいと考えます。
また,重要なことは,部長がSSIに敏感になることです。上記シャワー浴なども,部長が言うから,科の方針として皆が守るわけで,若手がいくら言っても,上が守らなければ効果は上がりません。
術前シャワー浴を義務づけた2010年以後2014年7月までの当科の定期+緊急手術におけるSSI(縦隔炎,創部感染)は,心臓手術で3/610例(0.49%),大血管手術で2/162例(1.23%),末梢血管手術で1/234例(0.43%)と低く抑えることができています。
【文献】
1) Anderson DJ, et al:Infect Control Hosp Epidemiol. 2008;29(Suppl 1):S51-61.
2) Sorensen LT, et al:Ann Surg. 2003;238(1):1-5.
3) Dineen P, et al:Lancet. 1973;2(7839):1157-9.
4) Mastro TD, et al:N Engl J Med. 1990;323(14): 968-72.