【Q】
災害派遣医療チーム(Disaster Medical Assistance Team:DMAT)は,日本DMATが国の組織として各都道府県の災害拠点病院に配置されています。東日本大震災では,訓練されたチームがその組織力で被災地をカバーし支援を行いました。しかし,活動期間が短かったため,支援が途絶えた地域があり,また急性期の医薬品しか携行していないなどの問題点があったと感じました。
私も支援活動に出向いた1人として,東日本大震災以降の日本DMATの現状と,新たな取り組みなどについて知りたいと思います。東京医科歯科大学大学院・大友康裕先生にご教示をお願いします。
【質問者】
石原 哲:医療法人伯鳳会 白鬚橋病院名誉院長
【A】
1995年の阪神・淡路大震災では,6400名を超える方の命が失われましたが,そのうち外傷,熱傷,クラッシュ症候群などを中心に約500名の「防ぎえた災害死」(preventable disaster death:PDD)が発生しました。
生命の危機に瀕した重症患者の命は,発災直後から時々刻々と失われ,48時間を超えると救命の可能性は極端に減少します。このため,「発災直後に被災地に入って,これら重症患者の救命医療活動をする医療班が,防ぎえた災害死回避のためには必要不可欠である」という,阪神・淡路大震災からの教訓から,DMATの育成・体制整備が進められました。2005年3月以降,厚生労働省等主催の日本DMAT隊員養成研修が開始され,2014年3月31日現在で,1323チーム,8327名(医師,看護師および業務調整員)のDMATが養成されています。
東日本大震災においては,DMATが全国47都道府県から岩手県,宮城県,福島県,茨城県へ派遣され,383チーム,1852名の隊員が12日間にわたって活動し,被災地域内の病院の診療支援や情報の発信,ドクターヘリや救急車による域内搬送,自衛隊機による広域医療搬送,津波で孤立した病院の入院患者の救出活動や応急処置などを実施しました。
しかし,被災地で実際にDMATが活動する中で,津波災害による死者・行方不明者が多く,従来想定されていた外傷やクラッシュ症候群などの疾患が比較的少ない一方で,通常の医療機関が甚大な被害を受けたことなどにより,慢性疾患への対応が必要となりました。
また,DMATは従来,災害急性期(おおむね48時間以内)を目途に活動することとしていましたが,東日本大震災では想定されていた活動時間を超えたことにより,物資の不足が生じたチームがありました。さらに,DMATが保有する通信機器のバッテリー切れや,電波の受信がきわめて不良であったことなどにより,現地の医療ニーズの把握が困難であったことなど,DMATの活動について多くの課題が明らかとなりました。
これらの課題をふまえて,DMATの活動については,従来の対象疾患にとらわれず幅広い疾患に対応できるよう,DMAT活動要領やDMATの研修内容の一部見直しが行われました。
また,DMATが災害急性期(おおむね48時間以内)に活動できる機動性を持った専門的な研修・訓練を受けた医療チームであるという前提は従前通りとし,災害の規模に応じて,DMATの活動が長時間(1週間など)に及ぶ場合は,2次隊や3次隊の派遣で対応することとしました。さらに2次隊以降は,1次隊(災害急性期に活動するDMAT)とは異なる医療資器材を持つこととしています。
なお,通信機器については,衛星携帯を含めた複数の通信手段を保有し,インターネット回線を使って広域災害・救急医療情報システムへアクセスできるように事前に確認しておくことも求められています。