「つわり」は妊娠初期なら誰にでも発症しうる生理的現象である。その程度が強まり栄養状態が侵されると,「妊娠悪阻」と診断される。妊娠悪阻は病的状態であるため医療も介入するが,忍耐強い国民性を持つ日本人には,我慢が美徳であるという風習が根強い。妊娠悪阻も治療の基本は輸液とビタミン補給であり,悪心の軽減にはあまり目が向いていなかった。これは事件にまで進展したサリドマイドの記憶が残っており,妊娠初期の安易な薬物治療は避けるべき,との社会全体の風潮の影響が大きいと考えられる。
日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会で編纂している『産婦人科診療ガイドライン─産科編』は,2008年に創刊され,3年ごとに改訂されている。2008,2011年版では「妊娠悪阻の治療は?」とのCQにある薬物に関するAnswerには,輸液とビタミン剤(ビタミンB1,B6)のみが記載されている。一方,2014年版では「嘔気・嘔吐が持続する場合には制吐薬使用を考慮する」と,初めて制吐薬の使用が記載された。米国産婦人科学会では2015年9月にPractice Bulletinを改訂し,ビタミンB6とdoxylamine(抗ヒスタミン薬,日本未発売)の制吐効果を期待して投与することを強く推奨している。さらに特筆すべきは,妊娠悪阻に陥らないように早期より介入することを推奨している点である。日本では一般的に行われる輸液による脱水の治療は,推奨レベルも低い。
日本では妊娠悪阻との診断がなければ処方などの医療介入ができないため,同様の推奨はできない。しかし,妊婦に我慢を求める医療は徐々に変化している。