No.4689 (2014年03月08日発行) P.59
安藤嘉門 (川崎市立川崎病院麻酔科副医長)
増田純一 (川崎市立川崎病院病院長)
登録日: 2014-03-08
最終更新日: 2017-09-06
【Q】
最近,「硬膜外麻酔(epidural anesthesia)の合併症に,下肢の疼痛持続や麻痺,筋萎縮の持続がある」という話を耳にした。
本当にそのような晩期合併症があるのか。ある場合,考えられる原因は何か。(福岡県 S)
【A】
硬膜外麻酔に伴う神経学的後遺症はきわめて稀であるが存在する。主な原因は手技に伴う機械的損傷,硬膜外血腫や硬膜外膿瘍による圧迫損傷,局所麻酔薬の神経毒性である
硬膜外麻酔は手術麻酔や術後鎮痛,さらにはペインクリニックの分野でも広く用いられる区域麻酔の代表的な手技である。硬膜外麻酔施行後に神経学的合併症を発症することがあるが,その発症率は非常に低い。ほとんどの場合,一過性の症状であり,永続的な後遺症が残ることはさらに稀である1)2)。日本麻酔科学会の麻酔関連偶発症例調査の結果3),硬膜外麻酔と脊髄くも膜下麻酔に伴う神経損傷の確率は,1/43000と報告されている。また,Brullら4)によるメタ解析の結果では,脊髄くも膜下麻酔や硬膜外麻酔後のニューロパチー発生頻度は,0.04%以下とされている。これらの合併症の原因の多くは,神経走行領域での機械的損傷および血腫や膿瘍による圧迫,局所麻酔薬の神経毒性によるものである。
硬膜外麻酔時の機械的損傷のほとんどは,穿刺針やカテーテルが直接神経組織を傷害することで生じる。神経損傷が起きた場合,その支配領域に電撃痛や放散痛などの症状を伴うことが多い。しかし,永続的な神経障害に発展することは非常に稀である。穿刺中に神経症状が出現しても,その時点で手技を中止すれば神経を高度に損傷するまでには至りにくいからである。不可逆的な神経障害を起こさないためには患者の訴えをよく聞き,軽い症状である場合でも穿刺をやり直すことが推奨される。
硬膜外腔は血管に富んでおり,穿刺やカテーテル挿入の際に血管損傷が起きる可能性がある。しかし健常人であればすぐに止血するので問題になることはまずない。凝固異常のない患者に硬膜外麻酔を行った際の発生率は1/15万以下である5)。
一方,凝固系に異常のある患者や抗血栓薬を使用中の患者の場合,出血が持続し血腫が神経を圧迫することがある。典型的な症状は重篤な背部痛と神経支配領域の感覚・運動麻痺である。MRIで血腫の位置や脊髄への圧迫の程度がわかる。症状出現から8時間以内の椎弓切除による減圧を行わないと症状の改善が得られないと言われるが,最近は症状が軽度であれば保存的な治療も行われる。
近年,周術期にも抗凝固療法を行うことが一般的になり,硬膜外血腫の発生リスクは高くなってきている。ヘパリンによる抗凝固療法を併用すると硬膜外血腫の発生率は約7倍になると言われている5)。ASRA(American Society of Regional Anesthesia and Pain Medicine)6)や欧州各国は,抗凝固療法と区域麻酔を併用する際のガイドラインを作成しているが,わが国には関連するガイドラインは存在しない。このため,各施設で抗血栓薬の休止期間や検査値基準を定めて運用していく必要がある。
硬膜外腔の化膿性感染症であり,起炎菌には黄色ブドウ球菌が最も多い。感染経路は血行感染と穿刺針やカテーテルからの直接感染が考えられている。リスク因子は,外傷,糖尿病,カテーテル長期留置である。仙骨硬膜外麻酔は穿刺部位が会陰部に近く感染のリスクが高い。初期症状は発熱,背部痛である。治療は抗菌薬による保存的治療と減圧手術である。
従来,局所麻酔薬の作用は可逆的であり,神経障害を起こすことはほとんどない。脊髄くも膜下麻酔では馬尾症候群が稀に発生することが報告されているが,これに比べて硬膜外麻酔では直接的な神経毒性を生じにくいと言われる。ただし,既存の神経障害を有する患者,特に脊柱管狭窄症の患者はリスクが高いと警告されている。狭い硬膜外腔に薬液を無理に注入することで脊髄への直接的圧迫や神経周膜の感受性亢進による局所麻酔薬の化学的損傷が起きやすくなることが考えられている7)。また,カテーテルがくも膜下に迷入され,本来硬膜外腔に投与されるべき高濃度の局所麻酔薬が誤ってくも膜下腔に多量に投与されると神経障害を引き起こす可能性もある。
硬膜外麻酔を行う際は,起こりうる合併症を十分に認識し,個々の症例ごとに有用性とリスクについて検討を行う。神経障害が疑われた場合には,早期診断と的確な治療を行うことが肝要である。
1) 小坂義弘:新訂 硬膜外麻酔の臨床. 真興交易医書出版部, 2009, p100.
2) 高崎眞弓:硬膜外鎮痛と麻酔 理論から手技の実際まで. 文光堂, 2009, p360.
3) 入田和男, 他:麻酔. 2007;56(4):469-80.
4) Brull R, et al:Anesth Analg. 2007;104(4):965-74.
5) Stafford-Smith M:Can J Anaesth. 1996;43(5 Pt 2):R129-41.
6) Horlocker TT, et al:Reg Anesth Pain Med. 2010;35(1):64-101.
7) Yuen EC, et al:Neurology. 1995;45(10):1795-801.