日本医事新報5月3日号OPINION欄に千葉大法医学教室の石原憲治氏らによる「なぜ警察取扱死体数が減ったのか」との論文が掲載された。要旨は、①増加傾向が続き、2012年に過去最高数だった警察取扱死体が2013年に減少した要因は、2012年8月31日の医師法20条に関する医事課長通知および同年10月26日の厚労省「医療事故に係る調査の仕組み等の在り方に関する検討会」での医事課長発言ではないかと推測し、届出減少を憂慮、②医師法21条の解釈論を展開して、医事課長発言は最高裁2004年判決を逸脱した解釈であると批判、③犯罪や事故の見逃しを防止するために幅広な届出制度が望ましいと提言─というものである。この意見には問題があると思慮するので、その理由を述べたい。
①については、本稿掲載時点では、前提自体が疑問、少なくとも不明である。司法解剖に至る経緯は、医師法21条に基づく届出以外にも、変死体の通報等によるものがあり、この分析をせず、都道府県別の死体取扱数の表を出しても、あまり意味がない。殺害事件の件数は1998年以降下降して戦後最低となり(2013年度犯罪白書)、自殺も2009年以降4年続けてほぼ下降傾向(2013年人口動態統計)である。
論者の議論の根拠としては、殺人や自殺が減少傾向にある中では無理があろう。21条解釈を問題にする論考をこの時期に発表すること自体、診療関連死を対象から外した死因究明推進法が9月末に期限切れとなることを見越した政治的メッセージであろうか。21条の解釈の話をしながら診療関連死の論考を「本題からそれる」としているのは不可思議である。
また上記のように、殺人事件や自殺等が減少している以上、異状死体の届出は減るべきであるし、仮に医師が、医事課長発言等を受けて異状死体の届出をしなくなったとしても、そもそも最高裁2004年判決およびこれを受けた国立病院のリスクマネージメントマニュアル作成指針による誤った増加現象があったためであり、今はむしろ徐々に正常に復してきているといえよう。
② については、最高裁2004年4月13日判決(最高裁判所刑事判例集58巻4号247頁)東京高裁2003年5月19日判決(判例タイムス1153号99頁)において、明確に外表面説を採用しており、確立した有権解釈である。
最高裁2004年判決では「医師法21条にいう死体の『検案』とは、医師が死因等を判定するために死体の外表を検査すること」と述べている。本件は、准看護師によるヒビテンの誤点滴による死亡という明確な医療過誤事案であった。東京高裁の判決文を引用する。
「原判決は、医師は、患者の主治医であり、術前検査では心電図などにも特に異常は認められず、手術は無事に終了し、術後の経過は良好であって、主治医として病状が急変するような疾患等の心当たりが全くなかったので、蘇生をした医師から、看護婦がヘパロックした直後、患者の容態が急変した状況の説明を受けるとともに、看護婦がヘパロックをする際にヘパ生と消毒液のヒビグルを間違えて注入したかもしれないと言っている旨聞かされて、薬物を間違えて注入したことにより病状が急変したのではないかとも思うとともに、心臓マッサージ中に、右腕には色素沈着のような状態があることに気付いており、そして、死亡を確認し、死亡原因が不明であると判断していることが認められるのであるから、医師が患者の死亡を確認した際、その死体を検案して異状があるものとして認識していたものと認めるのが相当である、としている。…しかしながら、死体の検案とは、既に述べたとおり、死因を判定するために死体の外表検査をすることであるところ、上記の事実関係によれば、平成11年2月11日午前10時44分ころ、医師が行った死体の検案すなわち外表検査は、患者の死亡を確認すると同時に、死体の着衣に覆われていない外表を見たことにとどまる。異状性の認識については、誤薬の可能性につきE医師から説明を受けたことは、上記事実関係のとおりであるが、心臓マッサージ中に右腕の色素沈着に医師が気付いていたとの点については、以下に述べるとおり証明が十分であるとはいえない。…医師は、当時、右腕の異状に明確に気付いていなかったのではないかとの疑いが残る。
以上によれば、同日午前10時44分ころの時点のみで、医師が死体を検案して異状を認めたものと認定することはできず、この点において原判決には事実誤認があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである」
こうして東京高裁は原審東京地裁判決を破棄し、これが最高裁で踏襲された。法医学会の解釈論は東京地裁判決で採用されたが、東京高裁裁判例では明確に排斥され、破棄判決となったのである。厚労省の医事課長発言は遅ればせながらこれを確認したもので、むしろ、これまで法医学者や行政、患者
側に与する弁護士が、この知見の医師への普及を阻害して誤った解釈論を振りまき、医師等を混乱させてきたのではあるまいか(東京都監察医務院のウェブページには、未だ誤った解釈が記載されている)。
最高裁の外表面説は合憲限定解釈であり、憲法38条1項の自己負罪拒否特権に抵触しないための解釈である。幅広い対象を規定するのであれば、診療関連死を医師法21条から外すことが必須だろう。
③の提言は、監察医務院を現在の東京、大阪、兵庫(愛知は大学に委託事業として実施)以外にも普及させて、法医学者の領域を拡大させることにもなるが、解剖医の数自体が不足しており、現状の解剖必要数にも間に合っていない(2010年8月16日 読売新聞)。このような状況で異状死体の届出が増加して司法解剖が増えれば、どうなるのであろうか。
私は以前、法医学的判断ミスの事案を経験したことがある。高齢者が軽い交通事故後、徒歩で病院を受診し、その夜に急変したため救急搬送され死亡した事案だ。司法解剖となり、蘇生の際に折れた肋骨が肺を傷つけたことによるものだとして検案して、救急医が肺挫傷の医療過誤で捜査対象になった。このような事案が増加するだけではないか。
司法解剖制度は本来、医学的知識を有する専門家の目線で、捜査の独善を排除して科学的な捜査を行うためのものであり、診療関連死は、法医は基本的には非専門である。診療関連死は診療に従事する医師が判断すればよいし、必要なら病理解剖を行うことで解明するべきである。
確かに、犯罪の発見のためには、医師はもちろん、全国民に犯罪告発義務を負わせ、網羅的に捜査機関に情報が集中するシステムが理想的であろう。論者も立場上、そのような視点に染まっているようである。しかし、憲法はわずか100箇条の10分の1を割いて刑事被疑者、被告人の利益を図っている。自己負罪拒否特権(憲法38条1項)や明確性の原則(憲法31条)もその1つである(最高裁1975年9月10日判決 刑集29巻8号489頁参照)。
今回の石原論文は論旨の根拠自体が希薄な上、法律家が共同執筆しながらかかる点で医師の人権について十分な配慮が見られていない点で疑問である。