全身の血管に炎症が起きる原因不明の乳幼児の疾患「川崎病」の発見者として世界的に知られる川崎富作さん(日本川崎病研究センター名誉理事長)が6月5日、都内の病院で老衰のため逝去した。日本川崎病研究センターが10日、発表した。享年95歳。
川崎さんは1925年、東京・浅草生まれ。48年千葉医大医専卒。
日赤中央病院(現日赤医療センター)小児科勤務中、高熱、頸部リンパ節腫脹、眼球結膜の充血、全身の発疹などの症状を呈する小児患者に遭遇し、1967年に同様の症例50例をまとめて未知の疾患として報告。後に「川崎病」(Kawasaki disease)として国際的に認知されるようになった。86年ベーリング・北里賞、87年武田医学賞、88年日医医学賞、91年日本学士院賞を受賞。
日赤医療センター小児科部長などを経て、90年に川崎病研究情報センター(現日本川崎病研究センター)を設立、川崎病の原因解明、予防法の確立などに打ち込んだ。
日本医事新報誌上では、「いわゆる川崎病について」(1976年)、「川崎病研究の現況」(2005年)などで川崎病研究の成果を報告するとともに、座談会「これからの小児科医は?」(1979年)、プラタナス「フェアプレーの精神」(2007年)などで子どもの教育のあり方についても積極的に発言し、学歴社会や点数至上主義の根本からの見直しを訴えてきた。
以下、日本医事新報のバックナンバーより川崎さんの発言を再録し、故人の功績・人となりを偲びたい。
「誰言うとなく“川崎病”なる名称がつけられ、通称されている」 (日本医事新報1976年6月26日号 川崎富作ほか「いわゆる川崎病について」より抜粋)
「勉強は勤勉さだが、学問は遊び心」 (日本医事新報1979年9月8日号 座談会「これからの小児科医は?」より抜粋)
「自分の名の冠された疾患が外国の教科書に載る、これ以上の光栄はないですね」 (日本医事新報1988年10月29日号「人 川崎富作氏」より)
「明治以来の東大を頂点とする受験競争や点数至上主義の阿呆らしさ」 (日本医事新報2007年4月21日号 プラタナス 川崎富作「フェアプレーの精神」より)