【Q】
前立腺周囲の骨盤底筋群として,内側より恥骨直腸筋,恥骨尾骨筋,および腸骨尾骨筋などと呼称されています。個人的に開放手術で前立腺全摘を行っているときは,特に前二者は外尿道括約筋や前立腺尖部に付着しているため,これらは外尿道括約筋とコンプレックスを形成しており,骨盤底筋の筋膜をできるだけ温存し,特に前立腺尖部に付着する恥骨尾骨筋は切断するよりも,遠位に押しやるように剥離するのが尿禁制のためには良いものと信じておりました。ところが最近,da Vinci手術で前立腺全摘を行うようになって,骨盤底筋,あるいはその筋膜の温存の有無は尿禁制にあまり関係ないように思える一方で,恥骨尾骨筋の付着位置や厚みにはかなり個人差があり,中には前立腺の近傍で切断せざるをえない場合もあります。さらにMRIでこれらの筋群を見ると,実際は前立腺に付着しているのでしょうが,画像上は外尿道括約筋や前立腺尖部を囲むように背側に伸びているため,尿禁制よりも射精装置としての前立腺のサポート的な役割に関与しているのではないかとも推測できそうです。
そこで前立腺の外科解剖に造詣の深い栃木県立がんセンター・川島清隆先生に,これら骨盤底筋群の実際の機能に関して,また個人差に対してどのように対処すべきか,先生のご経験や最近の知見などについて,ご教示下さい。
【質問者】
加藤晴朗:長野市民病院泌尿器科部長
【A】
解剖学的に肛門挙筋は尾側から恥骨直腸筋,恥骨尾骨筋,腸骨尾骨筋の3群で構成されますが,独立した筋肉の集合ではなく,もともと1枚のプレート状の筋肉であるとされています。論文や解剖書で図示される形状はそれぞれ異なり,観察者によって認識が大きく異なっていることがわかります。特に機能については諸説あり,dynamic MRIによる検討などが行われていますが,残念ながらその全容はいまだ解明されていません。そこで,文献と手術を通しての私の理解をお話しします。
まず,腸骨尾骨筋は内閉鎖筋筋膜上の肛門挙筋腱弓から起始し尾骨に停止しています。尻尾の退化により起始が腸骨からずり落ちたとされています。MRIで見るととても薄く(私たちが術中,厚い肛門挙筋と認識していたものは同部では内閉鎖筋です),ヒトでは他の肛門挙筋,尾骨筋とともに骨盤隔膜として骨盤底を隔壁している以外に大きな働きはないようです。
恥骨直腸筋はその名の通り,恥骨から起始して直腸背側に停止し尿道,直腸を腹側に吊り上げています。内側は恥骨会陰筋とも呼ばれ,尿道背側の直腸尿道筋に停止します。直接尿道には停止せず,尿道括約筋背側部のposterior rapheに癒合する直腸尿道筋に停止することで間接的に尿道と連続しています(直腸尿道筋は骨盤内臓器をすべて集約する,いわば扇の要のような要所です)。尿道を吊り上げているため尿道括約筋とともにコンプレックスを形成し,尿禁制に寄与していることは異論のないところだと思います。
問題は恥骨尾骨筋です。恥骨尾骨筋は恥骨から起始し,尾骨に停止します。全長にわたって前立腺尖部にその筋膜ごと癒合し,尿生殖裂肛を閉鎖しています。癒合部の厚みや部位は個人差が大きいです。鈍的に剥離できるという意見がありますが,癒合は強固で正しい層を保ったままで剥離することは同部では困難だと私は考えています。肛門挙筋は全体で前立腺,尿道,直腸を包み尿禁制に寄与するという意見(Brooksなど)が大半ですが,Shafikは恥骨尾骨筋は尿道を開大させ排尿を引き起こすと主張しています。また,女性ではオルガスムスに関与すると言われています。射精についてもご指摘の通り関与していると思いますが,詳細は調べえませんでした。
このように,肛門挙筋各々の働きについていまだ明らかにはなっていませんが,実際には1つの筋肉が閉まるか開くかどちらか単一の働きを担うのではなく,隣接する臓器と接し組み合わさることで,きわめて複雑で多義的な動きをしていると考えられます。また,排尿や射精などには多くの臓器が関与していると思われます。私は,骨盤内臓器を統合し集約する場所として直腸尿道筋が重要であると考えています。手術においては恥骨直腸筋,恥骨尾骨筋,尿道,直腸を直腸尿道筋がぎゅっと結合している構造を極力破壊しないことが尿禁制の維持に最も重要だと考えています。