日野原重明先生が7月18日、105歳で亡くなりました。「生涯現役医師」を貫いた先生の功績は、「全人医療」や「患者参加の医療」の先駆的な提唱、看護教育の向上等、枚挙にいとまがありません。さらに先生は、平和と命の大切さを伝える教育にも熱心に取り組まれました。先生の名言「75歳をすぎてから第3の人生が始まる」(2000年9月「新老人の会」発会式挨拶)は、今年70歳になった私個人への「励まし」ともなっています。
しかし、私は、新聞各紙が日野原先生の功績として「(生活)習慣病」という名称を早くから唱え、厚生省(当時)がそれを1996年に採用したことをあげていることには違和感を持ちました。もちろん、私も脳卒中や心疾患等の発症予防にとって食生活や運動などが重要なことはよく理解していますが、「生活習慣病」という用語には病気の多様な原因を個人の生活習慣=自己責任に単純化する側面があるし、近年その傾向が強まっていると思うからです。
例えば、小泉進次郎議員等が昨年10月に発表した「人生100年時代の社会保障へ」は、「生活習慣病、がん、認知症」は「普段から健康管理を徹底すれば、予防や進行の抑制が可能なものも多い」にもかかわらず、「現行制度では、健康管理をしっかりやってきた方も、そうではなく生活習慣病になってしまった方も、同じ自己負担で治療が受けられる」ことを問題視し、健康管理での自助を促す「健康ゴールド免許」の創設を提唱しています。
そこで、本稿では、厚生労働省の「生活習慣病」の説明がどのように変わってきたかを簡単に振り返ります。この作業のために、1996~2016年版の『厚生(労働)白書』の生活習慣病の記述の変遷をチェックするとともに、引用文献・資料を読みました。
残り2,666文字あります
会員登録頂くことで利用範囲が広がります。 » 会員登録する