【Q】
抗精神病薬服用中の患者が感染症を合併したので抗菌薬を投与した。アナフィラキシーを起こした場合,WAOのガイドライン(World Allergy Organization Guidelines for the Assessment and Management of Anaphylaxis)に従ってアドレナリンを投与するのが妥当と思われるが,わが国の薬剤(抗精神病薬,アドレナリンなど)の添付文書には併用禁忌が明記されている。一方,前記ガイドラインには記述がない。ガイドラインなどをもとに薬剤を投与して,アナフィラキシーによる医療事故が発生した場合,添付文書の記載に従わなかった一般臨床医は法的にどのように対応すべきか。(大阪府 F)
【A】
判例では「合理的理由がない限り」,添付文書の記載に沿うべきとされているので,法的責任が問われた場合の説明ができるようなマニュアルが必須となる
結論的な印象をあえて冒頭に示しておくと,非常に難しい問題で,一義的に適切な回答をお示しすることは非常に困難である。
その難しさは,医学的言説とその解釈,医学的判断および法的言説とその解釈,法的判断の問題が,非常に錯綜した形で浮かび上がってくるので,実際に診療現場のTPOを考えれば,こうすればよいという結論がシンプルな形で導出し難いということである。
なお,質問者の問題関心が「法的にどうなるか」というところにあることから,もし法的責任を追及された場合,つまり「刑事・民事・行政処分などの審理を受ける際に,どのように扱われるか」というシミュレーションを展開することとする。
ただし,ご質問には「添付文書の記載に従わなかった一般臨床医は法的にどのように対応すべきか」とあるが,既に診療上の選択肢を選んで結果が出てしまって法的責任を問われた時点では,もはや逆戻りすることはできず,弁護士などとの協議のもとで訴訟戦略などを考えるほかないので,ここでは「治療判断をする前にどのようにして手順を整えていくべきか」という形で回答することにする。
まず,医療行為に要求されるのは,医療水準を満たすことである。医療水準を満たさない診療行為で,その行為と因果関係の認められる不良な結果を生み出した場合は,医師の過失が認められる可能性が高くなり,刑事・民事・行政処分などの審理において有責と判断される可能性が高くなる。
最高裁判所は「医療水準」について,「注意義務の基準となるべきものは,診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である」としている(最高裁判所昭和57年7月20日判決)。その後に最新知見などを巡っていろいろと派生的判断が付加されてきているが,基本的に臨床医学の実践における医療水準を満たすべきであるという考えに変わりはない。
ここで,診療当時の医療水準と概括的に表現することはある意味で非常に簡単であるが,その内容を確定することは容易でない。結局,「当時」という時間的要素は変遷をも包含する概念であるから,各々の事件,事件で当時の医療水準についての議論は,係争事例ごとに詮議されざるをえない。
ところで,薬剤の使用にからんだ事例については,当然のこととして添付文書の記載が問題となる。
最高裁判所第三小法廷平成8年1月23日判決は「医師が医薬品を使用するに当たって右文章に記載された使用上の注意事項に従わず,それによって医療事故が発生した場合には,これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り,当該医師の過失が推定されるものというべきである」と判示している。ここにいう右文章とは添付文書のことであるが,「合理的理由がない限り」,添付文書の記載に沿うべきことが明らかにされている。
したがって,たとえば抗精神病薬の「セレネースⓇ注射薬」の添付文書には,次のように記載されている。
「併用禁忌(併用しないこと)
薬剤名 アドレナリン(ボスミン)
臨床症状・措置方法 アドレナリンの作用を逆転させ,重篤な血圧降下を起こすことがある。
機序・危険因子 アドレナリンはアドレナリン作動性α,β–受容体の刺激剤であり,本剤のα–受容体遮断作用により,β–受容体刺激作用が優位となり,血圧降下作用が増強される」
ボスミン注Ⓡの添付文書には,次のように記載されている。
「併用禁忌(併用しないこと)
薬剤名等 抗精神病薬
ブチロフェノン系薬剤(セレネース,トロペロン等)
フェノチアジン系薬剤(ウインタミン等)
イミノジベンジル系薬剤(デフェクトン等)
ゾテピン(ロドピン)
リスペリドン(リスパダール)
α遮断薬
臨床症状・措置方法 本剤の昇圧作用の反転により,低血圧があらわれることがある。
機序・危険因子 これらの薬剤のα遮断作用により,本剤のβ刺激作用が優位になると考えられている」
このような併用禁忌記載を読めば,前記最高裁判所判決の「合理的理由がない限り」という判示が大きな意味を持ってくる。
そこで,質問者が挙げているWAOのガイドラインについてであるが,このガイドラインは,抗菌薬によるアナフィラキシーだけでなく,アナフィラキシー診療全般においてわが国においても参照されることの多いガイドラインである。これに依拠して抗精神病薬使用患者にアドレナリンをファーストチョイスにすることが,果たして「合理的理由」とされるかどうかが問題になろう。
仮に,アドレナリンを使用してかえって血圧低下などをきたし,アナフィラキシーショックについての医療事故として法的責任の追及を受けた場合,その選択が合理的理由に基づくものかどうかが争点となる可能性は高い。
そこで,このガイドラインが抗精神病薬使用中の者に対しての併用使用について特に注記していないとしたら,その点について鑑定や照会対象になるかもしれないが,使用した医師は使用の合理性を判断した根拠を尋ねられることになろう。つまり併用禁忌の機序・理解や,併用がやむをえないとして投与した経緯,病態理解などに合理的理由があるかどうかが,審理の重大な問題関心になるからである。
この併用禁忌については,麻酔科医や救急救命医,抗精神病薬を使用する精神科医などの間で広く議論されており,こうしたらよいといった確立した結論が必ずしも得られていないようにも見える。実勢として,併用禁忌の者がほとんどになる精神科病棟では緊急カートにはアドレナリンを置かないとか,一般的にはファーストチョイスとはされていないノルアドレナリンを使うように準備しているなどの体制をとっているところもあるようである。
本来,医療紛争につながりやすい医療手段の選択問題であるので,医事法的言及を求められている本欄では医療的選択がどれであるべきかということは示唆できない。だが,この領域において方々でこのような議論がなされていることを考慮すれば,各実地医家の事前戦略として十分な検討を行い,責任が問われた場合に“なぜか”“なぜならば”の説明ができるようなマニュアルは必須であろう。
ところで,以上のような筋論で準備万端を整えるのが理想と言っても,実際の現場でのTPOは様々であり,薬剤の準備,スタッフなどの体制そのほかもろもろの点において,なかなか理想的にはいかないのが現実である。
重篤な薬剤アレルギーで,たとえばアナフィラキシーショックに陥ったが,緊急で薬剤も限られるという状況もありうるだろう。そうなれば,法律にも緊急避難という規定があり,たとえば刑法においては第37条1項に「自己又は他人の生命,身体,自由又は財産に対する現在の危難を避けるため,やむを得ずにした行為は,これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り,罰しない。ただし,その程度を超えた行為は,情状により,その刑を減軽し,又は免除することができる」と定められている。
したがって,手元にアドレナリンのほかにアナフィラキシーショックに対応しうる薬剤がなければ,これを使用することも許されるかもしれない。
ただし,このような緊急避難を必要とする状況に対応すべく準備する注意義務において懈怠があるとすれば,必ずしも免責されるかどうかは微妙であろう。業務上特別の義務者を例外とする同条2項も参考にする必要もあろう。
つまり,このあたりの対応は本当に一筋縄ではいかない難しさを持っているので,やはり先に述べた「事前のシミュレーションが重要」というところに戻ることになってしまう。