(東京都 K)
【その状況下でできる範囲の行為をすれば十分で,法もそれを支援している】
ご質問とほぼ時を同じくして,舞鶴市での相撲の地方巡業で,市長が挨拶中に突然くも膜下出血で倒れ,観客の中から女性を含む医療従事者が駆けつけて救命した事件が報道されました(女性が土俵に上がった際,「女性は降りてください」とアナウンスがあったため,全国的なニュースとなりました)。
スポーツジムで同様のことがあった場合でも,医師をはじめとする医療従事者には駆けつけてできる範囲の対処をすることが期待されます。実際にそうしている人が多いと思いますが,中には,法律上の責任を心配する人もいます。
「法律上の責任はないから,安心してできるだけのことをしてください」と答えるべきであり,米国やカナダではそれが実際に法制化されており,「よきサマリア人法」(Good Samaritan law)と呼ばれます。この法律は一般に,故意や重過失(この場合の重過失は故意に準ずるようなひどい過失です)でない限り,医師を含む救助行為者の法的責任を問わないと明記するものです。実はわが国でも民法第698条に「管理者は,本人の身体,名誉又は財産に対する急迫の危害を免れさせるために事務管理をしたときは,悪意又は重大な過失があるのでなければ,これによって生じた損害を賠償する責任を負わない」という条文があります。法律の非専門家にはわかりにくい条文ですが,ここで言う管理者は「義務なく他人のために事務の管理を始めた者」(民法第697条)であり,救命行為を始めた医療従事者はこれに当たります。
したがって,ご質問に対する回答としては,以下が現在の考え方でしょう。
①法律上の責任が問われることはない。その状況で,当該医師ができる範囲の行為をすれば十分で,法もそれを支援している。
②自らの個人情報については,医師であることは周囲に示すほうがよいが,通常,それ以上に名前などを明かす必要はない。しかし,助けられた人は感謝したいはずであり,他方で医師にとってもその後どうなったかを気にするのは当然で,名前と連絡先を残すのは倫理的にも適切である。
③稀ではあるが,何ら救命行為をしないようにと意思表示する人がいるかもしれない。錯乱状態などのケースを除き,それは尊重せざるをえない。
付言すると,民法第698条などは専門家以外,誰にも知られていませんので,わが国でももっと明確な救命行為促進法をつくるべきです。世界医師会も,旅客機飛行中の医療補助に関する決議の中で,「よきサマリア人法」を制定するよう各国に呼びかけています。
【回答者】
樋口範雄 武蔵野大学法学部特任教授