今回は,基本的な産業医活動のひとつでもある職場巡視についてお話しさせて頂こうと思います。
職場巡視は,労働者の健康状態や作業環境,作業状況などを確認し,それらが労働者の安全を守れる状況にあるかを確認することが最大の目的と言えます。具体的な手順としては,表1のようになります。
労働者の安全を守るためには,実際には法令遵守だけでは十分とは言えません。職場内のハザードやリスクを洗い出すためには,衛生管理者のほかに,職場のことをよく知っている職場の担当者とともに職場を巡視することが重要となってきます。衛生管理者以外の人と各職場を巡視することが困難な場合でも,各部署の担当者に話を聞くことなどで,部外者にはわかりづらいハザードやリスクについて認識することができます。各部署の巡視は産業医にとって,他部署の人たちとコミュニケーションを図る貴重な場ともなりえます。
職場巡視は,プライマリ・ケア医(家庭医)が苦手とする分野かもしれません。ですが,このように職場巡視の目的を明確にし,手順を確認しておくなど,事前の準備をしっかりとすることで,プライマリ・ケア医(家庭医)がトレーニングを受けている組織運営・管理者としての視点が生かされると思います。また,職場巡視で気になる点を指摘するだけでは十分と言えません。まずは職場が取り組んでいる良い点もしっかりと伝え,褒める言葉を伝えることも大切と言えます。
2012年3月に大阪府内の印刷に関連した事業所で,1,2-ジクロロプロパンの曝露によると考えられる胆管癌が多発したことによって,産業医の果たす役割の重みが再認識されました。その後,2014年の労働安全衛生法(安衛法)の改正で,“一定の危険性や有害性が確認されている化学物質に対するリスクアセスメントの実施”が事業者に義務づけられました。2021年1月1日現在で674物質について,事業所間で譲渡・提供する際に,安全データシート(safety date sheet:SDS)の文書交付が義務づけられています。
これらの情報は,厚生労働省の「職場のあんぜんサイト」の「化学物質のリスクアセスメント実施支援」1)からも確認できます。また,労働安全衛生総合研究所のホームページ2)でも,過去の化学物質に関連した災害や,危険物質および有害物質に関連した情報の確認ができます。
日本国内で使用されている化学物質だけでも7万種を超えています。そのため,わが国でも職場における化学物質の管理のあり方が見直されはじめており,欧米と同様に,“化学物質の譲渡・提供者による安全に関する情報提供と,使用者によるリスクに基づく自律的な管理”が求められるようになりました。こうした流れを受けて,2024年4月からはSDS表示を必要とする物質に234物質が追加され,今後も順次追加される予定です。
産業医がこうした化学物質のリスクアセスメントそのものを主体的に実施することは少ないかもしれません。しかし,事業者が取り扱う化学物質のリスクアセスメントをする際に,具体的な作業工程の確認や,物質の特性等から保護具や換気に関する助言等,健康障害予防に関連した助言が求められることもあるかと思います。私自身はかつて,デスクマットに含まれる化学物質による接触性皮膚炎の方の診療をしたことがあります。プライマリ・ケア医(家庭医)にとっても,化学物質による健康障害を知っておくことは大切だと思います。
プライマリ・ケア医(家庭医)は,かかりつけ医として患者と長く向き合い,患者だけではなく,患者の家族もケアしていくことについてトレーニングを受けています。ひとりの人の成育から看取りまでの壮大な人生の物語に向き合い,その人をサポートしていく。そのような視座を持つプライマリ・ケア医(家庭医)は,「相手のことをよく知り,長く付き合っていくこと」を大切にしています。このため,企業の産業医として着任したときから,その企業の成り立ちや,成長してきた過程といった企業理念や歴史そのものに理解を示しながら,今必要なことを一緒に考え,その企業が抱える問題に対して解決に向けて一緒に取り組むことができると思います。
そのようなプライマリ・ケア医(家庭医)による産業医活動は,中小企業および小規模事業所で活かされる可能性があります。これらの企業では大企業とは異なり,社員同士の顔が見える関係性であることも多く,より労働者に近い立ち位置での産業保健活動がマッチすると思います。また,こうした企業では,大企業や中小企業の分散型事業所として,本社や親会社からの支援が受けられる場合もありますが,そのような支援を受けることが難しい企業の大半は,費用面や人材面などの問題から,産業保健対策は整っていないところも多いことが知られています。地域産業保健センターは,そうした企業の支援を担っていますが,認知度もそれほど高くはなく,企業側が求める個別性の高い支援を十分に得ることは難しいという現状になっているようです。
これらの背景から,必要な産業保健へのアクセスが困難な企業(中小企業や小規模事業所など)では,トレーニングを受けたプライマリ・ケア医(家庭医)がニーズに寄り添い,一緒に問題を解決していくことで,企業からの信頼度も満足度も高まると考えられます。世界家庭医機構(WON CA),国際労働衛生委員会(ICOH),世界保健機関(WHO)でも,“予防を含む労働者医療の基本的な要素が,プライマリ・ケア医によって提供される可能性”が指摘されており,プライマリ・ケア医(家庭医)による産業保健の提供も期待されています。
まだ産業保健活動をされていないプライマリ・ケア医(家庭医)の皆様には,ぜひ,日頃の日常診療に産業保健マインドを取り入れて頂き,産業医活動にも第一歩を踏み出して頂ければと思います。
【文献】
1)厚生労働省:職場のあんぜんサイト 化学物質のリスクアセスメント実施支援.
https://anzeninfo.mhlw.go.jp/user/anzen/kag/ankgc07.htm
2)労働安全衛生総合研究所ホームページ.
https://www.jniosh.johas.go.jp