1987年、「エリートはこうして育てられる」というNHKの特集で、ハーバード大学の様子が放映されました。
筆者はこの特集で“フェアプレーの精神”が大学教授の選考にも適用されていることを初めて知ったのです。日本では、フェアプレーといえばスポーツに限って使われている言葉ですが。
さて、その特集では、「入学者選びの方法」「教授の選考」などのテーマについて述べていました。
入学者選びでは、全米のみならず全世界から志願者が集まりますが、すべて各高校からの推薦であり、日本のようなペーパーテストは行っていません。志願者の地元のハーバード出身の先輩が志願者の出身高校に出向き、面接を繰り返し、家族や高校の教師とも会って、志願者の特性をよく調べます。そして最低3カ月を費やしてあらゆる角度から一人ひとりの素性を調べ、先輩たちによる報告書と出身高校の内申書、成績などを参考に入学者を決定するというものです。奉仕活動や部活動で優れた記録を出したり、リーダーシップを発揮した者は有利とのことでした。
筆者はこれをみて、日本の明治以来の東大を頂点とする受験競争や点数至上主義がいかに阿呆らしいかをつくづく考えさせられました。なぜなら、日本の一流大学を出ても、多くの人が米国に留学するからです。
また教授選びについては、選ばれた選考委員2名が、毎年どこかの都市で行われる全国的な教授選考会議に出向いて、希望者名簿から適当と思われる人材を選び、面接して、採用の可否を検討し、採用側と就職希望者側とで条件が合った時、選考が終わるというのです。
強い印象を受けたのは、ハーバード大では教授選考の第一条件が自校出身者以外であるという点です。自校出身教授が多くを占めるのはアンフェアで不健全であると説明していました。利根川 進氏は「米国の科学者や科学行政の担当者は、長い経験から“基礎科学の環境で非常に重要なのは、どうやって純系化を防ぐか、言い換えると、異質の経験、異質の文化的背景を持った人をどうぶつけるか、それが新しい発想を生むのに役立つ”ことを知っている。マサチューセッツ工科大学(MIT)の教授でMIT卒業生は7%にすぎない」と述べています。
明治維新後140年、敗戦後でも60 年以上経つのに相変わらず子どもにのみ厳しい受験競争をさせて、指導者の教授には(いや官僚や政治家にも)アンフェアな行為がまかり通るわが国の現場を根本的に改める必要があると考えます。