新法施行後,低血糖による交通事故にも危険運転致死傷が適用される可能性がある
公判では,「正常な運転に生じるおそれがある状態」の認識の有無が争点となる
患者自身の血糖値の良好なコントロール,医師の適切な指導が重要である
2016年の国民健康・栄養調査によると,糖尿病が強く疑われる者(糖尿病有病者)と,糖尿病の可能性を否定できない者(糖尿病予備軍)は,いずれも約1000万人と推計されており,両者を合わせると約2000万人となる 1) 。糖尿病有病者の人口に対する割合は,男性16.3%,女性9.3%であり,年齢が高いほど多くなる傾向にある。
糖尿病の治療は,食事療法・運動療法が基本となるが,それでも血糖値のコントロールが十分ではない場合には,薬物療法が必要となる。薬物療法中の患者は,薬剤の影響で低血糖となる可能性があり,意識障害を引き起こすことがある。現在,「無自覚性の低血糖」は免許の相対的欠格事由である一定の病気として挙げられているが,薬物療法を受けていても人為的に血糖を調節できる者は,免許を取得・更新することができる。あくまでも血糖値のコントロールを良好に保ち,運転をすることが前提である。これを怠ったことによる低血糖に起因した事故は,以前から散見された。2014年の「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」(以下,自動車運転死傷行為処罰法)の施行により,自動車の運転に支障を及ぼすおそれがある病気(特定の病気)に,「低血糖症」も挙げられ,要件を満たせば危険運転致死傷の適用が可能となった。また,道路交通法(以下,道交法)の改正により,免許更新時の健康に関する質問票に虚偽の記載をした場合,罰則が科されることになった。このように,近年,一定の病気・特定の病気を持つ患者の運転には,従来以上に厳しい注意義務が求められているとともに,注意義務違反(過失)より重い責任が問われる場合もある。
筆者らは,自動車運転死傷行為処罰法施行以前に,糖尿病による低血糖に起因した自動車事故刑事判例についての検討を行った 2) 。今回,同法施行後の刑事裁判例を新たに調査し,糖尿病運転者の刑事責任に関する近年の傾向について検討を行ったので報告する。
自動車運転死傷行為処罰法(2014年5月20日)施行後に,国内で発生した交通事故のうち,糖尿病による低血糖に起因した事故の刑事裁判判例を対象とした。対象例は,過去の刑事裁判判例と新聞記事の検索により抽出した。検討対象には,控訴中の事例も含む。検索は,全国新聞5紙におけるすべての記事と判例データベースを活用して,可能な限り幅広く行った。なお,使用したデータベースは,聞蔵Ⅱビジュアル(朝日新聞,1879年以降),産経新聞データベース(産経新聞,1992年以降),日経テレコン21(日本経済新聞,1975年以降),毎索(毎日新聞,1872年以降),ヨミダス歴史館(読売新聞,1874年以降)とTKCローライブラリー(1875年以降),Westlaw Japanである。
対象例は4例であった。それぞれの概略を以下,および表1に示す。
【事例1】 運転者:65歳の男性,会社員
事故概要:ワゴン車を運転中に意識障害に陥り,信号待ちの乗用車に衝突した。さらに後進後,方向を変えて加速して歩行者をはね,駐車中のトラックに衝突した。
公判:危険運転致傷で起訴され,検察側の請求で予備的訴因として過失運転致傷が追加された。なお予備的訴因とは,罪名を含み変更された犯罪事実で,起訴罪名(主位的訴因)に次ぐものをいう。運転者はどちらにおいても無罪を主張した。1審では,危険運転の故意は否定され,過失運転致傷で禁錮1年6月執行猶予3年の有罪判決が下された。控訴審ではこの判決は破棄され,差戻しとなった。運転者が上告したが上告棄却となり,差戻し1審では,運転前に追加インスリンを注射し,血糖値を確認せずに運転をしたとして,過失運転致傷で禁錮1年6月執行猶予3年の有罪判決が下された。現在,運転者が控訴中である。
【事例2】 運転者:56歳の男性,農業
事故概要:軽乗用車を運転中に意識障害に陥り,軽トラックと衝突した。さらに240m走ったところで反対車線にはみ出して,軽乗用車に衝突した。
公判:インスリン注射後,血糖値を測定せずに安易に運転をしたとして,危険運転致傷で懲役10月執行猶予3年の有罪判決が下された。運転者は罪状について容認した。
【事例3】 運転者:49歳の男性,無職
事故概要:乗用車を運転中に意識障害に陥り,赤信号で停車中の乗用車に衝突した。
公判:運転者は,初期症状(視覚症状)を自覚しながら運転を継続したとして,危険運転致傷で懲役1年執行猶予3年の有罪判決が下された。
【事例4】 運転者:33歳の男性,会社員
事故概要:軽ワゴン車を運転中に意識障害に陥り,前方の乗用車に衝突した。
公判:危険運転致傷で起訴され,予備的訴因として過失運転致傷が追加された。運転前に糖分を補給しており,意識障害に陥ることは予見できなかったとし,無罪判決が下された。
事例1~4は2014〜2018年に発生しており,判決は2015〜2019年に出されていた。4例の運転者はすべて男性で,事故時の平均年齢は,50.8±13.5歳(33〜65歳)であった。職業は,会社員2人,農業1人,無職1人で,職業運転者はみられなかった。糖尿病に関しては,3人は1型で,1人は不明であった。すべての運転者が,インスリン療法を行っていた。事故前に医師から運転について何らかの指導を受けていたのは2人,特に指導はなかったのが1人,不明が1人であった。
被害状況は,全例負傷事故(1〜3人)で,3例は軽傷であった。いずれも危険運転致傷で起訴されたが,このうち2例は,予備的訴因として過失運転致傷が追加された。運転者が起訴事実を容認した事例は1例で,残り3例の運転者は否認して無罪を主張した。
判決は,有罪3例,無罪1例であった。有罪例のうち2例は危険運転致傷,1例は過失運転致傷が適用されており,いずれも執行猶予付きの判決であった。また,「正常な運転に支障が生じるおそれ」の認識あるいは予見可能性の時期については,運転開始時点が2例,前兆を自覚した時点が1例と判断されていた。
わが国における一般病院外来通院中の糖尿病患者を対象にした調査によると,自動車運転中に低血糖の経験があったのは,1型糖尿病患者の35.6%,2型糖尿病でインスリンを使用している患者の13.8%,2型糖尿病でインスリンを使用していない患者の2.7%であった 3) 。また,毎日自動車を運転する糖尿病患者の13.9%は,運転中に低血糖発作を起こした経験があった。したがって自動車を運転する糖尿病患者は日頃から低血糖を予防することが重要であり,さらに具体的な療養指導も必要となる 4) 。
そもそも自動車死傷事故に対しては,刑法第211条の業務上過失致死傷が適用されていたが,自動車事故への厳罰化の声が高まり,2007年に刑法第211条の2に自動車運転過失致死傷が新設されて,法定刑の上限が引き上げられた。また,2001年には悪質運転に対して刑法第208条の2に危険運転致死傷が新設されたが,適用要件が厳しく,いわゆる健康起因事故に適用されることはなかった。
その後,運転者のてんかん発作に起因した鹿沼クレーン車暴走事故(2011年)や祇園ワゴン車暴走事故(2012年)などにより,健康起因事故への注目が高まり,2014年には病気や薬物の影響による事故に対して,要件を満たせば危険運転致死傷の適用を可能とする自動車運転死傷行為処罰法が施行された。政令で定められている疾患(特定の病気)の影響による事故が,危険運転適用の対象となっており,「低血糖症」も特定の病気の1つとして挙げられている。
筆者らは,1996〜2008年(自動車運転死傷行為処罰法施行前)に発生した糖尿病による低血糖に起因した自動車事故の刑事判例6例について報告した 2) 。2007年に自動車運転過失致死傷が新設されるまで,自動車事故には業務上過失致死傷が適用されていたが,いずれも過失犯として刑事責任を問われていた。したがって,注意義務違反が認められるか(過失の有無)が争点となっていた。運転中に何らかの前兆を自覚した時点で運転を中止すべき義務が生じたのに,継続したことについて過失を認定した事例が4例,運転を開始する時点で運転を控えるべき義務(運転避止義務)があったにも関わらず,開始したことについて過失を認定した事例が2例であった。すなわち,糖尿病患者(無自覚性低血糖を除く)は,低血糖の前兆を,運転開始時または運転中に感じることで,低血糖による意識障害で事故を起こす可能性を予見することができるため,運転を中止するもしくは控える義務(運転避止義務)が生じる。これに違反して低血糖に起因した死傷事故を起こした場合,過失が認められて有罪となっていた。
一方,自動車運転死傷行為処罰法施行後の本対象例は,いずれも危険運転致傷,つまり故意犯として起訴されていた。同法施行後,特定の病気に起因した事故に対する危険運転の適用が明文化されたが,要件を満たす必要があり,必ず危険運転が適用されるわけではない。①特定の病気の影響により,②走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態で自動車を運転し,③その病気の影響により正常な運転が困難な状態に陥り,④人を死傷させた場合にのみ適用される。糖尿病による低血糖において,判断が最も難しいのは,②(低血糖症のために)「走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態」になることを,運転者が認識していたかどうかであろう。認識していた場合,危険運転致傷の故意が認められるが,認識していなかった場合,故意は認められないので危険運転は成立しない。
危険運転致傷で有罪となったのは前述の事例2,3であった。事例2の運転者は,インスリン注射後,血糖値を測定せずに運転を開始していた。事例3の運転者も,血糖値を測定せずに運転を開始し,前兆を自覚しながら運転を継続していた。いずれの運転者も,本件事故前に低血糖による意識障害を複数回経験していた。したがって,インスリン注射後に食物を摂取せずに運転を開始したり,運転中に前兆を感じた場合には,低血糖による意識障害に陥るおそれがあることを十分に認識していたと認められた。
一方,事例4の運転者は運転前に前兆を感じていたが,微糖コーヒーを多めに飲用して運転を開始したところ,5分後に意識障害に陥り,事故を起こした。前兆を自覚しながら運転を開始・継続し,血糖値を測定していない点について,有罪となった事例2,3と同じであった。しかし,約25年間適切に血糖値の管理を行っており,意識障害の経験はなかったこと,これまでの前兆を自覚した時の対処経験から微糖コーヒーの摂取量を増量して糖分補給を図ったこと,当日は普段と異なる特異な投薬・食事はしておらず,特に体調変化もみられなかったことから,運転開始時には,適切な血糖値管理を行っていると認識していたと判断された。したがって,正常な運転に支障が生じるおそれがある状態であったとの認識は認められないとして,危険運転の故意は否定された。また,前兆を自覚した場合,通常は糖分補給による対処で,30分以内に回復していたことから,直ちに運転を差し控える注意義務(運転避止義務)があったとは言い難いとして,予備的訴因の過失運転致傷も認められず,無罪となった。なお,事例4の運転者は,血糖値のコントロールが良好であったこともあり,医師から低血糖の前兆を感じたら直ちに運転を中止するなど運転に関する特段の注意・指導を受けたことがなかった。
事例1は,予備的訴因の過失運転致傷で有罪判決が下された。運転者は運転開始前に追加インスリンを注射して,低血糖症の前兆を自覚していながら,発進して事故を起こした。発進前に糖分(どら焼きとジュース)を補給していたとしても,前兆を自覚していたからには,血糖値を測定して低血糖の状態ではないことを確認しない限り運転を差し控えるべき注意義務(運転避止義務)があったのに,これを怠った過失があると判断された。
有罪事例は,いずれも執行猶予付きの判決であった。これは,死亡事故はなく,被害が比較的軽微であり,被告人が職業運転者ではなかったことが量刑に影響したと考えられた。
自動車運転死傷行為処罰法施行後,糖尿病患者の低血糖に起因した自動車事故における刑事責任の判断において,危険運転では(低血糖症のために)「走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態」になることを運転者が認識していたかどうか,過失運転では低血糖症のために意識障害に陥る可能性を予見することができたかどうかが,重要な争点となった。「走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態」についての運転者の認識・予見可能性は,前兆を自覚していたか,当日の体調や食事のとり方およびインスリン注射の時間と量,血糖値の測定,糖分補給などから判断されていた。さらに,これまでの血糖値のコントロールが適切になされていたかという点も大きく関与すると思われた。
本対象例はいずれも,危険運転で起訴されていた。自動車運転死傷行為処罰法施行前は,糖尿病による低血糖に起因した自動車死傷事故については,すべて注意義務違反すなわち過失責任が問われていた。同法施行後は,故意犯としての責任が問われる可能性があり,法定刑の上限は大きく引き上げられた。自動車運転死傷行為処罰法第3条2項(病気の影響による危険運転致死傷)は,特定の病気に起因した事故に対する世論の非難の高まりの影響もあり設けられたものであり,糖尿病患者が低血糖に起因した事故を起こした場合,社会の目も司法判断もより厳しくなったと言える。日頃から血糖値コントロールを適切に行い,運転をする際は,特に注意が必要である。また,無自覚性低血糖と診断され,低血糖を予防すべく血糖値コントロールができない場合は,免許の相対的欠格事由とされる一定の病気に該当するため免許の取得・更新はできない。糖尿病患者が,運転中の低血糖に起因した事故を起こすことがないように,医師による注意喚起や指導が重要と考えられた。
糖尿病患者であっても,人為的に血糖を調節して低血糖を予防できれば,免許を取得・更新し,運転をすることができる。しかし,これを怠って低血糖に起因した事故を起こした場合,従来は過失運転で刑事責任を問われていたが,自動車運転死傷行為処罰法施行後は,要件を満たせば危険運転が適用され,故意犯としてより厳しい責任が問われる。血糖値のコントロールは,基本的には患者本人の自己管理に委ねられているため,運転中に低血糖により意識障害に陥った場合の大きなリスクを自覚する必要がある。また医師は,患者に自動車運転中における低血糖症のリスクを説明し,日頃からその予防に努めるよう注意喚起・指導を行うことが重要である。
【文献】
1) 厚生労働省:平成28年「国民健康・栄養調査」. 2019.
2) 馬塲美年子, 他:日交通科会誌. 2011;11(1):13-20.
3) 松村美穂子, 他:Progress in Medicine. 2012;32(8):1605-11.
4) 一杉正仁, 他:医のあゆみ. 2018;266(2):135-9.