【産業医は,従業員としての患者を守ると同時に,会社を守る義務がある。患者の生命,身体の保護が必要であると判断した場合は,本当の病名を会社に告げるべきである】
精神科医で産業医でもある夏目 誠が,③のご質問への回答をわかりやすくするため事例化し,説明と考察を加えます。
ついで,弁護士の原 哲男先生が法的見地から回答します。
大山太郎(仮称)さんは精神科クリニックを受診中です。主治医は会社宛に診断書を書きました。病名は「適応障害」です。また,主治医は産業医宛に,本来の病名は「うつ病」であることを文書で知らせました。
「適応障害」の病名は,大山さんが「『うつ病』の病名を会社に知られたくない」と主張したためです。主治医は,個人情報保護法の趣旨から,患者の意向を尊重しました。「適応障害」という病名なら,大山さんが同意したからです。同時に,主治医は産業医宛に「うつ病」の病名を文書で報告しました。
産業医は,「うつ病」ならば自殺念慮や企図の可能性があるため,主治医に問い合わせました。すると,「可能性は否定できない」との返事がありました。そこで大山さんと面談し,「生命保護」の必要性があると判断し,会社関係者に説明を行ったのです。
事例のように,患者の意思に反する病名などの説明を会社側に行う場合,カルテなどに判断根拠と説明内容を記載して下さい(表1)。
厚生労働省は「雇用管理に関する個人情報の適正な取扱いを確保するために事業者が講ずべき措置に関する指針」を定めています。本人同意が必要なので「適応障害」の病名となった場合,産業医が「うつ病」である事実を会社担当者に説明するかどうかですが,指針には「健康情報を取り扱うにあたっての留意事項」に例外規定があります。すなわち,本人の同意が得られない場合であっても,医師が本人または家族等の生命,身体または財産の保護のために必要であると判断する場合であれば,家族等へ説明することは可能です(個人情報保護法第23条第1項第2号に該当)。事例は“本人の生命の保護”に該当するので,産業医は会社担当者に説明できます。特に産業医は「安全配慮義務」上,説明が必要で,身体疾病でも同様です。判断根拠と説明内容をカルテなどに記載して下さい。
原先生は弁護士の観点から,質問を3つに区分し,回答しています。
(問1)産業医は,この主治医からの文書に従う必要があるのでしょうか。
(答1)従う必要はありません。産業医は立場上,従業員としてのその患者を守り,同時に会社を守る義務があります。会社との間における,委任契約上の義務です。したがって,患者との面接等により,近い将来自殺念慮などのリスクが発生する恐れがあると判断した場合は,むしろ積極的に“B”という病名を会社に告げた上で,最悪の事態の発生を予防すべきなのです。産業医自らも,この患者の状態を注意深く観察していく必要があります。
(問2)“B”という病気が原因で,患者に健康上の問題が発生した場合,産業医が主治医からの文書に従い“B”という病名を会社に告知していなかったとすれば,どのような責任が生じますか。
(答2)まず会社は,この患者あるいはその家族に対して,安全配慮義務違反による損害賠償義務を負うことになります。そして,産業医は会社に対して,損害賠償義務を負わせてしまったという結果について,委任契約に基づく賠償責任を負います。また,この患者に対しては,実際には“B”という病気であることを知っていながら会社に告げず,かつ患者に対しても予防措置をまったく怠っていたとすれば,患者本人やその家族に対して,直接,不法行為責任を負う危険性もあります。
(問4)主治医が,“B”という診断をしていながら,会社へは“A”という病名を告知していることは問題でしょうか。
(答4)やむをえないことです。主治医が患者の立場で行動するからこそ,患者は安心して頼ってくるのです。“B”の病名を会社に告げてしまえば休職扱いにされるなどのリスクがあるから,患者が依頼している以上は,“B”より軽い診断名にせざるをえなくなります。医師は診療行為に関する守秘義務を負っているのです(刑法第134条)。
【回答者】
夏目 誠 大阪樟蔭女子大学名誉教授/ 日本産業ストレス学会元理事長
原 哲男 原・白川法律事務所/元東京弁護士会副会長