2017年3月16日午後,東京・霞が関の裁判所合同庁舎前に,1年3カ月前の初公判の日と同じように,傍聴券を手に入れようと約200人の傍聴希望者が並んだ。Kyoto Heart Study(KHS)論文発表から8年を経て,いよいよディオバン臨床研究不正事件の東京地裁判決が下される日が来たのである(裁判までの経緯については拙著『赤い罠─ディオバン臨床研究不正事件』をご参照頂きたい)。
定刻の午後1時30分となり,裁判長が2名の若い判事とともに入廷すると,全員が起立して一礼した。裁判長によって開廷が宣言され,白橋被告とノバルティス社執行役員が被告人席に立つように呼ばれると,主文の読み上げが始まった。傍聴者の間には,一言も聞き漏らすまいとする緊張感が溢れた。
冒頭,裁判長の口から発せられた「被告人は無罪」という言葉に傍聴席は一瞬どよめき,右手に陣取っていた報道関係者数名が慌ただしく法廷から飛び出していった。予想に反した判決に対して失望感に陥りながらも,裁判長の判決理由の言葉に聞き入った。しかし途中から,どうもおかしいと感じ始めたのである。
「無罪」と言うからには,白橋被告弁護側の主張を認め,「被告による改ざんの証拠はなかった」という判決理由であるのかと思いきや,そうではなかった。裁判長の口から,「白橋被告の証言は信用できない」という意外な言葉が数回にわたって発せられたのである。耳をそばだててなお聞き入ると,白橋被告によるイベント数の水増し,データの改ざん,定義に基づかない恣意的な群分けという争点に関しては,検察側の主張を全面的に受け入れ,事実認定しているのである。それではなぜ無罪判決なのか。以下に争点を整理しよう。
公判開始にあたり,裁判長が挙げた争点は以下の5項目である。
争点①:白橋被告は論文作成に際し,非ARB群の心血管イベント数を水増ししたか。水増しした場合,それは意図的な改ざんであったか。
争点②:白橋被告はKHSサブ解析論文(Ca拮抗薬併用群と非併用群を比較したいわゆるCCB論文)作成に際し,定義に基づかない恣意的な群分けをしたか。
争点③:その場合,P値に意図的な改ざんを加えたか。
争点④:各論文は,薬事法第66条第1項の「効能・効果に関する虚偽の記事」に当たるか。また,各論文を作成し,投稿,掲載してもらう行為は,薬事法第66条第1項の「記事の記述」に当たるか。
争点⑤:仮に白橋被告による改ざんがあった場合,その行為は被告会社の業務に関連するか。
争点①~③については,いずれも検察側の主張を全面的に受け入れ事実認定をした。すなわち,白橋被告によるデータの改ざんはあったと認めたのである。各争点について示された判断を以下に記す。
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