医学や看護学を志す学生に講義をする機会があるときには、なるべく「優生保護法」(1948〜96年)について話すようにしている。およそ48年間に少なくとも2万5000人もの方が特定の疾病や障害の遺伝を防止するという理由で不妊手術を受けさせられたが、そこには医師が加担してきたという事実を知ってほしいからだ。2019年にやっと国がお詫びを述べ、一時金320万円(旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律第4条)の支給が始まったと伝えると、多くの学生は「昔の話だと思っていたが、終わっていなかったんだ」という事実に驚いている。
ここに至るまで、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に基づく自由権規約委員会からは、日本政府に複数回にわたって被害者救済が勧告されてきたが、日本政府は応じてこなかった。そこで高齢の被害者自身が自らのつらい体験をもとに訴えざるをえなくなった。2018年に仙台地方裁判所で提起された損害賠償訴訟を皮切りに、これまでに39名の方(亡くなった方を含む)が国を相手取った裁判を続けている。もちろん、被害者の声に真摯に耳を傾けた国会議員はいたし、この問題に向き合った官僚もいた。しかし、実行した政策は正しかった、という無謬性神話が揺らぐことはない。被害者は声を上げ続けなければならなかった。
ほとんどの地方裁判所、高等裁判所で、優生保護法の立法や改正・廃止の遅延を憲法違反と認めつつも、不法行為から20年経過後に損害賠償請求権が消える「除斥期間」(民法724条)により、請求が棄却される判決が続いた。しかし、2022年に大阪高等裁判所が初めて国家賠償請求を認容し、それ以降、裁判所の判断は原告の請求を認める方向へと変化した。そして2024年7月、最高裁判所は、不法行為から20年経過後に損害賠償請求権が消える「除斥期間」が適用され、国が責任を免れることは、著しく正義・公平の理念に反すると断じた。
また、この判決では、不妊手術について本人に同意を求めるということ自体が、その実質において、不妊手術を受けることを強制するものであることに変わりはなく、個人の尊厳と人格の尊重の精神に反し許されない、と断じている。
その後、岸田文雄総理大臣が被害者に謝罪し、可能な限り早期の解決を約束した。現在、政府は、原告1人当たり1500万円の慰謝料を支払うことを含めた基本合意案を準備しており、近く和解が成立する見込みである。
2019年に成立した上記の法の前文には、「このような事態を二度と繰り返すことのないよう、全ての国民が疾病や障害の有無によって分け隔てられることなく相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向けて、努力を尽くす決意を新たにするものである」と書かれている。私たち一人ひとりにできることを考えていきたい。
武藤香織(東京大学医科学研究所公共政策研究分野教授)[旧優生保護法][不妊手術][無謬性]
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