日本国憲法第65条「行政権は、内閣に属する。」
日本国憲法第66条第3項「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。」
日本では、司法については最高裁判所を中心とする裁判所〔憲法(以下、法名省略)第76条第1項〕が、立法については国会(第41条)が、それぞれ原則として独占的地位を与えられている。これらと並行して、行政については、内閣に独占的地位が与えられている(第65条)。これが重要であるのは、議院内閣制の下では、内閣のなすことには国会を通じた民主的統制が及ぶという点である(第66条第3項)。
ところで、ここでいう行政とは何だろうか。通説的な説明によれば、行政とは国家作用から司法と立法を除いたものということになっており、これを行政の定義における「消極説」という1)。
そうすると、コロナに対するいわゆる専門家が行った国民への呼びかけや提言およびその解説は「行政」だったのだろうか。いわゆる専門家が、国の機関として身分を与えられ、国の政策立案に強くコミットし、そして国民に向けたメッセージを発信したことは、多くの国民の知るところであるし、後年専門家が著している書籍等の中で、専門家自身が認めているので、争いのない事実と言える。加えて、いわゆる専門家の活動が、国のリソースを使って行われてきたことに鑑みれば、これらが国家作用であることも否定しがたい(私人が勝手に行った私的活動が100%だとは到底言えない)。そして、このような活動を司法や立法と考える余地もない。そうだとすれば、コロナに対するいわゆる専門家の行った、国民に対するダイレクトな呼びかけや発表された文書の作成を含む多くの活動は、まぎれもなく「行政」作用の一環だったというほかない。
そこで、専門家の一連の活動と第65条との関係が問題となる。専門家の活動が、内閣の統制の下にあると言えれば、第65条の抵触の問題は生じない。それでは、内閣は、いわゆる専門家を統制できていたのだろうか。これは、我々が国民の立場から問わなければならない問だ。三権分立の建前の一角として、第65条が重要であるのは、同条が第66条第3項の前提となっているからだ。第66条第3項は、国会による内閣の統制の根拠を規定している。いわば国会を介して、内閣に民主的統制が及んでいるとみなす根拠となる条文であり、我々の住むこの国の行政が、民主的な責任を負った仕組みと言い得るもっとも根本的な規定である。つまり、第65条は、行政に民主的基盤を付与する条文なのだ。
筆者の目から見れば、コロナ対策の中で、いわゆる専門家の活動に内閣の統制が及んでいるという点について、少なからず心許ないところがあった。何より、専門家自身が、行政と言う国家作用を担う上で第65条という憲法の基本原理があることを認識していることを疑わざるをえない場面が目立った。これは、究極的には民主的統制の問題であり、国民主権原理(前文および、第1条)の問題である。医療リソースの配分や、学校で生徒が学ぶこと(第26条第1項)や、私企業が自由に経済活動をすることなどが、実質的に制限される場面が生じた以上、そのような重大な決定を担った行政が、憲法の予定した通りの民主的統制に服していたのか否かについては、これを問うて問いすぎるということはあるまい。
【文献】
1) 北村和生, 他:行政法の基本〔第7版〕重要判例からのアプローチ. 法律文化社, 2019, p4.
森井大一(日本医師会総合政策研究機構主席研究員)[日本国憲法]
過去記事の閲覧には有料会員登録(定期購読申し込み)が必要です。
Webコンテンツサービスについて
過去記事はログインした状態でないとご利用いただけません ➡ ログイン画面へ
有料会員として定期購読したい➡ 定期購読申し込み画面へ
本コンテンツ以外のWebコンテンツや電子書籍を知りたい ➡ コンテンツ一覧へ