2025年7月の参議院議員選挙では、「日本人」というワードが飛び交った。本稿も、この猛暑の中でもマスクを離せないでいる「日本人」の話である。
私事で恐縮だが、2025年6月、中部ドイツを旅してきた。ドイツといえばCOVID-19パンデミック当初マスク着用のルールに厳しく、公共交通機関でのマスク着用が義務化(それもN95に相当する高性能マスクが指定)され、公園のベンチにマスクをしないで座っているだけで警察官が来て罰金を払わされた国である。そんなドイツで、筆者が街の中でマスクをしている人を見かけることは、「一部の例外」を除いてなかった。一方、ところ変わって2025年7月の大相撲名古屋場所のTV中継。土俵とともに映り込む客席の様子も興味深いが、どの角度からの映像にも必ずマスクをつけている観客がやたらと目に入った。ドイツ旅行の「例外」は、音楽会場や乗継ぎ客でにぎわう国際空港で見かけた、姿形でほぼ日本人とわかるマスク着用者であった。逆に、マスク着用者は日本人と思われる人たちだけであった。
そこで強く思った。なぜ、今に至ってもなお、そして外国にまで来て周りからかなり浮いていても「日本人は」頑なにマスクを外さない……あるいは外せないのだろうか? ほかにも外国に行かれた方の話を加味すれば、これはたぶん世界中で日本人だけかもしれない。世界の街角、社会的施設、医療施設で調査したら、きっと面白い結果が出ると思われる。民族性と言ってしまえばそれまでだが、それをさらに突き詰めたらどんなところに行き着くのだろうか?
ここで日本人論をするつもりはない。一把ひとからげ各人みな同じ説明は乱暴だろう。それでもJapanese Behavior Patternsとして、ルース・ベネディクト著『菊と刀』の「義理」と「恥」の範疇だけでは収まりきらないものがあるかもしれない。ただ単に気が小さく神経質なだけか、ある種の頑迷さか、あるいは何らかの特別な深層心理があるのか、精神心理学的説明があれば伺ってみたいものである。
筆者の目から見て、感染防御を目的にしているにしては密着度が低く、役に立たないいわゆる「鼻マスク」が多い。きっと他人への配慮の意識が高い人たちなのだろう。いや、マスクなしでは暮らせない「マスク中毒」、これも一種のパンデミックの後遺症かもしれない。だが、これは決して他人事ではない。医療機関もそうである。いつ、どうしたらマスク着用の縛りを解除するのか、みなさん、真剣に考えたことありますか?
自宅マンションの駐車場で毎朝会うA氏も、COVID-19をきっかけに、いまだに毎日マスクをしてマイカーで出勤している。そんな思いでいたら、先日A氏がマスクを外していた。久しぶりに顔を見た。日本全体がマスクを外すのはいつのことだろうか? あるいは、もしかしたら我々は文化として未来永劫マスクを外せない民族になるのだろうか?
西村秀一(独立行政法人国立病院機構仙台医療センター臨床研究部ウイルスセンター長)[感染症][マスク]
過去記事の閲覧には有料会員登録(定期購読申し込み)が必要です。
Webコンテンツサービスについて
過去記事はログインした状態でないとご利用いただけません ➡ ログイン画面へ
有料会員として定期購読したい➡ 定期購読申し込み画面へ
本コンテンツ以外のWebコンテンツや電子書籍を知りたい ➡ コンテンツ一覧へ