2024年のノーベル平和賞に日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が選ばれました。授与式でのスピーチの内容には世界中の人々の心を揺さぶったとともに、私たちヒトという生物が誤った選択をすれば自滅し、地球環境の破滅にもつながりかねないことを再確認しました。
最も高い知能を発達させたヒトがいまだに戦争という形で命を奪い合い、霊長類研究者が「ゴリラは戦いを避けるようにふるまうのに……」と嘆きのコメントをすることは生物の進化の行き先に疑問を感じてしまいます。隣国の為政者の決定により戦禍に巻き込まれているウクライナやパレスチナの一般市民の方たちが1日も早く平和で安全な、当たり前の生活に戻れることを祈ってやみません。
一方、記録的猛暑の夏が長く続き、海水温上昇が厳冬も生じさせるため四季が二季になってしまうのでは、と気象学者の推測が伝えられた2024年ですが、11、12月と秋を飛び越えて急に気温が下がりました。関東では広葉樹の落ち葉が町中の歩道や公園を埋め尽くしています。地球温暖化を否定する政権が米国で復活することになりますが、地球温暖化の原因となる私たちの生活を支える化石燃料に由来する二酸化炭素の排出に対して、光合成で二酸化炭素を吸収する植物を大切にすることは重要とされています。
先日、高齢の母が住む実家の庭の掃除をし、落ち葉や枯れた草木を地域の燃えるゴミ収集用の袋に詰めてきましたが、燃やすことで発生する二酸化炭素は植物による温暖化抑制のメリットを相殺しないのか、と不安になりました。自然界であれば落ち葉や枯草は微生物により分解されるか、地面に堆積して地殻変動で埋没して熱や圧力を受けて石炭になると昔に習った記憶があります。一体、どうするのが地球環境にとって最適解なのか、わからなくなりました。
台所の生ゴミを微生物分解させることが環境にやさしい、という話題がありましたが、分解により二酸化炭素と水が発生します。そもそも地球上の原子が燃焼などでは変化しないのであれば、植物中の炭素を二酸化炭素の形にしないほうが温暖化に加担しないことになるのでしょうか。
1年間、識者の眼を担当させて頂きながら、こんな疑問に答えを出せない知識量ではお恥ずかしい限りです。年始の2回分(No.5207、No.5212)で大震災時の子どもたちへの配慮や避難生活によって運動器の機能低下(ロコモ)が生じないようにしたいという原稿を書きましたが、厳冬に向かう今、なお元の生活に戻れない方たちが多数おられる事実に非常に苦しい思いがあります。2025年も自然災害はなくならないと思いますが、先手を打った対策や初期対応が望まれます。
鳥居 俊(早稲田大学スポーツ科学学術院教授)[地球環境の破滅]
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