前回(No.5244)と前々回(No.5240)の本稿で、「患者様の思いを傾聴し、寄り添った医療を提供いたします」という、よくありがちな医療者の研修目標の文言を引き合いに、「そもそも傾聴するとは、寄り添うとは、どういうことか」について解説してきた。
こういった「そもそも」を考えることは、実は緩和ケアの領域においてはとても重要な意味を持っている。たとえば、終末期になって飲食ができない患者さんがいた場合に、多くの医療者は「点滴をする」ことが当然だと考えている。では、その「点滴をする」行為は、そもそも何のためにあるのか? と考えるとどうだろう。それをきちんと言語化できるだろうか。
「点滴くらいするのが常識だから」→本当にそうか? 点滴が標準的になったのなど、この数十年のことだ。なぜそれが「常識」になったのか。
「点滴をしないとつらくなるだろうから」→「点滴をしない終末期の患者さんは苦しい」というエビデンスはあるか? そもそもあなたが「点滴は常識」と言っている時点で、あなたは点滴をしない患者さんの終末期を看たことがないのでは。
「点滴は最低限のケアだと思うから」→「最低限のケア」と考えているのはあなた自身の思いであって、それが患者さん本人の苦痛緩和につながっているだろうか。点滴をしないほうが患者さんは苦しまない可能性があって、そのほうがよほど患者さんはケアされていると言えないだろうか。点滴をしない患者さん本人を見ていられない、という不安があなたの中に少しでもないと断言できるか?
などなど。行為や言葉を掘り下げていくことで、緩和ケアの質を高めようとすることは重要なのである。
話は変わるが、あるラーメン店YouTuberが動画の中で、新人のバイトを雇用したときに「お客さんが来店したときの声の出し方」について述べているものがあった。曰く、「明るく元気に、いらっしゃいませ、と言いましょう」ではダメなのだという。「明るく、元気に」とはどれくらいのトーンと音量なのか、そもそも「いらっしゃいませ」という言葉が本当によいのか。その結果、そのラーメン店では研修の際、「店のどこにいても、お客さんが来店したドアのところに○○デシベル以上の声が届かないとダメ」と指標を出し、実際に音量計を用いて一人ひとり計測しているのだという。「明るく、元気に」という言葉がどんな行為を指すのかを深掘りした1例と言えるのではないだろうか。こうすることで、たとえ新人バイトであっても雇用主が提案する「明るく、元気に」を理解することが可能となる。
言葉や行為を深掘りする、そしてそれをきちんと根拠をもって定量的に示すこと。緩和ケアの分野に限らず、様々な分野において、一つひとつを掘り下げることが大切なのである。
監修:福島沙紀(臨床心理士・公認心理師)
西 智弘(川崎市立井田病院腫瘍内科/緩和ケア内科)[言葉や行為の深掘り][根拠][定量的に示す]
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