2009年当初、政府は「新型インフルエンザ対策行動計画・ガイドライン」という詳細なパンデミック対策を定めていた。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が流行するまで、私は寡聞にしてまったく知らなかった。ここには詳細な行動計画が記されていて、リスクコミュニケーションまで言及されている。
そして、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(2012年5月公布)にCOVID-19を適用させる改正案が成立したのは、日本で最初の感染者が確認された2020年1月から2カ月後の同年3月なので、かなり早い動きだったと思う。それにもかかわらず、かなり後手に回った感があるのはなぜだろうか?
本来であればこの行動計画や法律に基づいて、2009年ないしは12年当時から種々のシミュレーションやそれに基づく現場の議論が行われるべきだったと私は思う。しかし、新型インフルエンザの流行が小規模だったことや政権交代が重なったこと、そして2011年の東日本大震災の発生とその後の対応など、様々な事情でその機会が失われたと言われている。
3年余りのコロナ禍で学んだこととして、前欄に「冷静に議論できる環境をつくる」大切さを記した(No5198)。しかし本来は、「冷静になれるとき」に議論しておくべきだろう。
最終回では、「備え」の大切さを述べたい。
コロナ禍の出来事に対して冷静になれるとき、しかも記憶や記録が残っているときとは「今」しかない。たとえば、今のうちに議論して一定のコンセンサスを得ておきたいこととして、資源の配分基準がある。前欄のワクチン接種の優先順位の議論もそうだったが、有限の資源をどう配分するかという議論は平時でないと難しい。
デルタ株による第5波に襲われたとき、東京のCOVID-19に対する医療事情は悲惨だった。本来は院内の中等症患者が重症化したときのために1床は空けておきたいICUも満床になった。
それでも救急外来前には、ベンチュリーマスクを装着したコロナ患者を乗せた行先のない救急車が、収容先の病院が決まるまで、という条件で停まっていたが、その中には一刻を争うほどに症状が悪化する患者もいた。この場合、ICU患者の中から比較的状態の落ち着いている1人を中等症病床に移して、ICUに入院させることもよくあった。あのとき、第5波が長引いていたらと思うとぞっとする。当時は、トリアージの救命率を考慮したブラックタグ対応などは社会的に許されず、恐らく先着順で満床につきお断りとなっただろう。
本学では、2023年10月から災害対応の診療棟を開設した。免震構造で、自家発電、電子カルテサーバを備え、ロビースペースは有事にはトリアージスペースになるように設計されている。また、11月1日には「TMDU感染症センター」を設立した。臨床医学、基礎医学、社会医学の3部門からなるもので、有事に備えるためである。
しかし、本学だけでできることは限られており、近隣の医療機関、自治体、厚生労働省との連携も平時からネットワーキングしておくことが大切である。
いま多くの場面で、2019年以前へ戻すことが常態化している。それを「復旧」と言うのだろうが、我々はこの3年余りの経験をふまえてよりよい社会をめざす「復興」に取り組むべきだろう。その重要性を強調して、この連載を終わりたい。
田中雄二郎(東京医科歯科大学学長)[平時の議論][有事への備え]
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