前稿(No.5277)では、ケアの対象者の生活や地域性、文化に配慮したスピリチュアルケアについて考えた。こうした要素が重なり合って、人々の死生観が形成される。本稿では、死者について語る患者と臨床宗教師との対話について紹介する1)。なお、倫理的配慮として、事例はケアの本質を失わない範囲で改変している。
Bさん(90歳代、女性)は、末期がんの診断を受け、在宅での看取りを希望される。20年以上前にご主人に先立たれ、若かりし頃を懐かしむ毎日を過ごされていた。あるとき、「早く死にたい」と口にされたため、担当看護師の依頼で臨床宗教師が対応する。「どうして死にたいの?」と聞くと、「亡くなった主人に早く会いたい」とのこと。孫や曾孫の顔も見たし、身体も不自由になってきた。おまけに治らない病気まで患ってしまった。そのため、夫のいるあの世に早くいきたいという。ここまでは高齢者からよく聞かれる話かもしれない。しかし、Bさんは後日、不思議な体験を語りだす。
B「聞いてよ。この前、主人が迎えに来たのよ!」
臨「えぇ! 本当? どんなふうに?」
B「急に雪が降り始めてね、傘をさして迎えに来てくれたの。あぁ、やっと私も逝けると思った」
いわゆる「お迎え現象」だ。Bさんは「亡くなった主人が来てくれて安心した」という。しかし、どんどん近寄ってきた主人の後ろには、見覚えのない女性が隠れるように立っていたんだとか。「だから、雪玉投げて、追い返したわ」と、Bさんは呆れた表情を浮かべる。その後、「まだ私、死にたくありません」と言うようになり、結果的に主治医の予測以上に長く生き、穏やかに死を迎えられた。
その間、たびたびご主人との口喧嘩の仲裁に入ることもあった。あれだけ死者とケンカする人もめずらしい。しかし、印象的だったのは、Bさんが以前より生き生きとしていたことだ。亡くなったはずのご主人が現れて喧嘩をする。それだけでなく、「寡黙だったけど根は優しかった」「喧嘩して家を飛び出したら、後になって追いかけてきた」などの思い出も語られる。まるで亡くなったご主人と会話をされているようでもあった。そうした営みが、Bさんの支えとなっていたのである。
医療現場で「お迎え現象」などというと、訝しがる者もいるかもしれない。他方、実際にこうした話題を投げかけられ、戸惑うという医療者も少なくない。臨床宗教師として人生の最終段階にある人々の話を聞くと、「死者とのつながり」に支えを見出す人が意外にも多いことを実感する。一人ひとりの死生観に配慮したケアを考えるとき、「死者」の位置づけを行うことも重要な課題となる。ここに、医療専門職に臨床宗教師が加わる意義が浮かび上がってくる。
【文献】
1) 井川裕覚:治療. 2023;105(12):1515-9.
井川裕覚(淑徳大学アジア国際社会福祉研究所主任研究員)[臨床宗教師][スピリチュアルケア]
過去記事の閲覧には有料会員登録(定期購読申し込み)が必要です。
Webコンテンツサービスについて
過去記事はログインした状態でないとご利用いただけません ➡ ログイン画面へ
有料会員として定期購読したい➡ 定期購読申し込み画面へ
本コンテンツ以外のWebコンテンツや電子書籍を知りたい ➡ コンテンツ一覧へ